22/11/25 大阪城 平成中村座のパーティーに参加して

大阪城の中の平成中村座の前、五軒長屋での出店も明日が最終日です
昨日は1部のみの公演で夕方から打ち上げのパーティーがありました

このパーティーは中村座の関係者の方々のみのパーティーで舞台道具の方々や御茶子さん、もちろん勘三郎さんや役者さんも参加されます
その中に私達、五軒長屋の工芸職人が参加させて頂いた訳です

なぜ参加できたかというと、リーダーの扇子職人日本一である荒井修さんが勘三郎さんとすごく親しい間柄なんです

パーティーは隠し芸大会で、関係者がチームを作り色々な出し物をするのです、今人気のAKBのモノマネややすしきよしの漫才、
男性が女装しての寸劇など14組の出演がありました。勘三郎さんや役者さんそして関西テレビの方々数人が審査員で採点を
して最後に優勝チームや上位入賞者に金一封を差し上げるという内容でした。

四時から始まって八時までずーッと笑いっぱなしでした。一番前列の勘三郎さんも笑いすぎて涙を出すほどでした。
すごくなごやかな雰囲気で、中村座全体の人間味を感じました。

特に最後の出し物はお茶子さんたちの寸劇で10年間の歩みという題でしたが、今年で平成中村座は10年目だそうで、勘三郎さんも私の隣に座っておられた荒井修さんも涙を出しておられました。

その寸劇が終わってから勘三郎さんや他の役者さんが荒井さんのところでしみじみと泣けたよと話しておられ、私と2メートル以内
の近距離でテレビしか見る事がない方々を間近に見られて感慨無量でした。

その後、荒井さんが私達に話ししてくれました。10年以上前に勘三郎さんと荒井さんが飲んだ時、ぐてんぐてんに酔って、この
平成中村座の構想を夢として話ししたそうです、それが実現出来て、もう10年と思うと感動で涙が出たよとの事です
役者さんたちも何人も涙を出しておられました。

私は歌舞伎のことも中村座のことも無知でしたが、皆さんの苦労と汗は身体で感じました。


我がリーダーの荒井さんはすごい人だなあとつくづく思いました。
扇子職人ですが、江戸文化のことを子供頃から勉強して、今では大学その他地方でも講義され、本も出されて、今年、集英社
から江戸文化の内容の本がまた出るようで、12月末頃に出版記念会があるということです。

芸能界の方々の知り合いも多く、山口智子さんとか内田有紀さん、昨日は鈴木京香さんが荒井さんに挨拶に来られました

来られる1時間前に職人メンバーがなんか鈴木京香さんが会場に来ておられるみたいだよ、会いたいねと言っていました。
私も会いたいと思って注意していたのですが、お客様に商品説明や販売していた間に来られたそうで見ることはできませんでした。

後で荒井さんに聞いたら俺も本人と会うのは初めてだよ、いきなり彼女が帽子を脱いで挨拶してきたのだよと言われてました。
どうも荒井さんは芸能界の方々にも信頼厚い方なのだなぁとしみじみ感じました。

このような素晴らしい先生とも出会えたので、これからはもっともっと江戸文化を勉強して行こうと思いました。

24/12/10

中村勘三郎さんが亡くなられてテレビでも色々報道されていますが、私も一度だけお会いした思い出があります。
大阪城での平成中村座公演の時、私は2週間にわたり、会場入り口に設置された五軒長屋という工芸職人の店で販売しました、公演最終日の夜には打ち上げのパーティーがあり、メンバーの責任者である荒井さんの計らいで私も出席することが出来き、お酒や料理、スタッフ達の演劇をみさせてもらい楽しみました。もちろん勘三郎さんや家族の方々とも至近距離で見ることが出来、写真も一緒にとって下さいました。

その打ち上げのパーティーですが、ただ飲み食いだけの会ではありません
出演者もスタッフも1人または数人でグループをつくり出し物をするのですが、モノマネであったり、
寸劇であったり、それが面白く私も仲間も笑いっぱなしでした。
勘三郎さんは一番前の席に座り、審査員もされていました。ズーット笑いっぱなしでした。
中でもお茶子さん達が平成中村座の10年という寸劇をされ、全員女性ですが、男性のかっこうをしたり、その当時の演目の勘三郎さんのマネをしたりで大変勉強になりましたし、楽しかったです。
やはり審査で一位になりました。
印象的だったのは一位から三位までお祝儀が出るのですが、2位が勘三郎さんの前のマネージャーさんと今のマネージャーさんとで寸劇をされたものでした、ところが1位の祝儀の額とは2位は少し安いので、
なあんだとマネージャーさん達がガッカリした声を出すと、勘三郎さんが「バカやろう、祝儀は俺の懐から出すんだ、」「俺のマネージャーなんだからガタガタ言うな、」と笑いながら言っておられたのが面白かったです。
とにかくスタッフ全員家族のように接しておられる勘三郎にはビツクリしましたし、荒井さんが私達のことを五軒長屋の仲間なんですと紹介すると「そうかそうか」と言われ何枚も一緒に場所を変えて写真を撮って下さいました。もちろん他の家族の方々も出演者の方々も皆さん頭が低く謙虚な方ばかりでした。本当に素晴らしい中村家だと思いました。
なんであのようないい方が早く亡くなってなってしまうのか
残念ですが、後継者の息子さん達も素晴らしい方々なのでこれからも継承されていくと思います。

24/12/30

年末、中目黒の「鮨 尚充 (たかみつ)」さんの漆塗りカウンターを修理に行きましたが、漆が乾くまでの時間があったので浅草に行きました。家内と二人で
大阪城の平成中村座のときにお世話になった荒井さんの店に行ってみようと思いました。
年末で沢山の人でしたが浅草寺の参堂を歩いていたら荒井さんの店を見つけました、すると荒井さんが居られるではありませんか、ビツクリ
店に入り、「荒井さんがおられるとは思いませんでした」と言って入りました。すると「みんな、まさかおられるとは思いませんでしたと言って入ってくるよ」
と言われました。
私は「この度はお寂しいことですね」と言いましたら「まだ、本当のことに思えないんだよ」「実感が湧かない」
葬儀のときは「神輿を出そうと言ったら、多くの方々が賛同して下さり、本当に大きな祭りのようになったけどね」
ぽつりぽつりと話されることに私は何も言えませんでした。
本当に突然のことで、来年の計画も色々決まっていたようで楽しみだったそうです。

私の家内が扇子をひとつ欲しいのですと言ったら、作品を次から次へと出してくれて、その時に作った想いも説明してくださりました。
その中の一つを買わせて頂きました。
その後、手ぬぐいの川上さんの店に行きました。するとやっばり一番ショツクだったのは荒井さんだねと話されておられました。