厚夫の部屋
このページ
は私、山岸厚夫が自己紹介的に自分の事を書くコーナーです。
私の自由ページと思って気楽に見て頂けたら幸いです。
◎趣味
まず仕事関係なく人と話をすると趣味はなんですか、と言いますが私の趣味は今、ウッドベースを練習する事です。
昔からベースが好きなのです、中学生の時ブラスバンドに入って大きなバスを吹いていました。うまくはなかったのですが
ブラスバンドでは楽譜を見るのが慣れたのが良かったです、今も楽譜を見ながら演奏できるのはその時のお陰かと思います。
中学3年の時、受験勉強で大事な時ですが、エレキギターが流行して、どうしても弾きたくて父に無理を言って買ってもらい
暇さえあれば練習していました。高校の時も卒業後もいくつかのアマチュアバンドを組んでパーテイーなどに演奏していました。
ですからベースの他に、あまりうまくありませんがエレキギターとドラムが少々できます。
アマチュア無線が好きでした。今、無線はしていませんがパソコンそのものが好きで、パソコンは趣味と実益が重なっているとも
言えます。
好きでやりたいと思っているのが空手、柔道、剣道、合気道、つまり武道をしたいと思っています、いずれどこかに習いに行こうと
思っています。20才の頃、柔道と空手を習っていたのですが、初段の手前の1級の試験の前の週に海へ行って飛び込んだ時に
肩の関節が外れて、運動禁止となり、それ以来特にスポーツをしなくなりました。
スポーツは中学の時にバスケット、バレーボールもしました。高校の時にサッカーをしました。今サッカーは人気ですが試合を見ていて、
少しは実感的にわかります。とにかく、スポーツはしたいと思っています。
音楽は好きで仕事しているときも音楽を聞きながらするとノリがいいです。ジャズを流しているのが多いですが、今はコブクロを聴いたり
しています。
◎尊敬している人
今、岡倉天心先生とはっきり言えます。
実は昨年の10月、ニューヨークで漆の話をしたのです、20〜30人のアメリカ人の知識人の集まりでした、私の話の後に質問が多くあり、
その中の一つに尊敬する方は誰ですか、と言われたとき、パッと出てこなかったのです。しかし、今後はハッキリといえます。
岡倉天心先生の名前は存じていました。福井県ゆかりの方で彼の両親が福井の方で、その後横浜に行かれて貿易商をされて、
横浜で産まれられたのですが、福井のことを愛されており、福井県としても何かとお名前を表面に出しています。
しかし、私は勉強不足でどんな方か知りませんでした。今年、正月から漆のことを勉強しなおそうと思い、漆器関係の本で私が持ってない
本を片っ端から買って読んでいました。その中に六角紫水先生の生い立ちのことが書いている本を読んでいたら、横山大観と一緒に学ばれ
その師匠が岡倉天心先生であり、東京芸大の創立者とも知り、これはもっともっと勉強するべきだと思い、岡倉天心先生の本を買い、次々
と読み、今も毎日読んでいるのですが、感動感動です、こんなに素晴らしい方がおられたと思うと心の中から嬉しいです。
なんと言ってもニューヨークに初めて行かれた時、日本の服装は着物だといって、みんな着物姿で渡米してニューヨークの街でもその姿で堂々と歩かれて
新聞にも取り上げられたそうですが頼もしいです。
今、皇室での来賓とのパーティーでも着物でないし、日本料理が中心でもないようですが、大変残念です。
もっともっと日本を打ち出すべきです。
日本の中心で活躍する方々、国際的に活躍するとき、日本の着物で日本料理を中心にして頂きたいと思います。
私も今後、着物を着こなそうと思っています。
◎今まで地元でしてきた役職
長女が保育園に行っていた頃、保護者会長……初めての保護者の役職でした。
長女が小学校に行ったとき、PTA厚生部長……色々なものを販売して収入を得た記憶があります。
長女が5年生のとき、 スポーツ少年団長…毎年恒例のキャンプ(200名参加)でいつも晴れでしたが、私の時、雨で学校でみんな泊まりました
長男が6年のとき、 サッカー部の保護者会長……優勝経験はなかったですが、2位とか3位のか賞状を6枚得ました。
長男が高校の時 PTA会長……副会長を2年、会長を一年で、長男の入学とともに役職を受け、卒業と同時に私も終わりました。
毎年、秋の文化祭でPTAは手打ちそばを作って販売しました。400食以上作って大変でしたが
3年間思い出ふかいものとなりました。福井県PTAの監査の役職でもありましたので、色々な経費の
ことなど知ることが出来ました。
自分が住んでいる町の役職 農家組合長……減反のことや矛盾した政府の政策を知りました。平野部でない農家はたいへん不利ということも
わかりました。
公民館長……広場の草がすぐのびて、草刈機で何回もかったのが印象的です。
区長(平成18年)…… 町のトップの役職です。色んなことに気を配るべきで大変ですが、家族がお世話になっている町ですので
やりがいのある役職です。
地元の漆器の役職 越前漆器協同組合 販売部 部長……卸商の会社が89社参加しています。
越前漆器協同組合理事 、宣伝委員長(平成18年)
◎私がよく見るテレビ
朝の目覚ましテレビ…高島アナウンサーも好きなタイプですし、大塚さんや軽部さんも好きなタイプです。
時代劇…水戸黄門、鬼平も好きです
海外の国々の紹介……一生の間にすべての国には行けないのでテレビで見れるときは見ています。
笑っていいとも…12時10分ころからのタモリとお客様のおしゃべりのみ好きで見ます
アクション映画も好きです。
寅さんも好きで昨年の末頃よく放映されていましたが、見るのが楽しみでした。
◎特技
これは特技かどうかわかりませんが、以前に色々勉強したので、誕生日と名前(漢字の画数)でだいたいの性格など言えます。
ですから、恋人との愛称とか会社での上司との相性とか、相談のってあげた時期があります。口コミであまりに相談者が多くなり
一切しなくなりました。もう10年以上前のことです。積極的にみたり話することはありませんが、私の意外な一面として紹介しました。
◎私のすべてのものの見方
この世のすべてのものを見るとき、水に浮かんだ氷の認識をします。見える部分は十分の一です、つまり十分の九は水面下に存在している訳です。
ですから、人を見ても、ものをみても、ある事象を判断するときも、見えない部分が大きいし重要と考えます。
一般的には服装でも家でも車でも人に見える部分に注意してイイカッコしますが、服装の下の下着が重要だし、下着より身体の清潔感が大事
だし、身体より心の中とか考え方が人からは見えないけれど重要であり、その内面が外ににじみ出てくるのであります。
家も縁の下が大事であります、一番に土地で次に基礎、そして柱という順番です。
漆器も同じであります。見える部分のきれいさより、見えない木地、下地が重要であります。
下地の話をしますと女性の方々は化粧も同じよと言って下さいます。
◎私の宇宙感
地球は太陽の周りを自転しながら公転しています。分子の構造も原子核のまわりを自転しながら公転しています。
つまり大きな宇宙も小さな分子も同じく回転し、変化し続けているのです。
私達は人間社会のことで頭が一杯で、となりのことや明日の仕事の段取りで忙しいですが、時には大きく宇宙の一員であるという思いもいいものです。
住んでいる地球も身体の中の分子も宇宙の法則性の動きをしているということは、私達の行動の規範も宇宙の法則に学ぶべきは沢山ある気がします。
どのようにして宇宙の法則を学べばいいでしょうか
外を見る、自然界を見る、山あり川あり木、植物、昆虫、動物あり、これらすべて人間が作り出したものではなく、地球上に一緒に存在し生活して
いる仲間です。その動きを観察研究すれば宇宙の法則が少しづつ見える気がします。
水は下へ下へ流れ、木は上へ上に育ち伸びて行きます。太陽は光を照らしつづけています、そのエネルギーはなくならないのでしょうか、不思議です。
木、植物は畑であろうが山であろうが、岩の上であろうが、与えられた環境、土地で精一杯生き続けます、簡単にあきらめません。
草は踏みつけられても、また起き上がり育とうと生きようとしています。どのような状況でも精一杯生きる姿に学ぶものがあります。
最近、豪雨や地震、大雪など人間がどうしようもない事象で困っています。でも考えて見て下さい、よく今までバランスよく雨が降り、バランスいい雪が降り
晴れと雨のバランスよかったから生物が生きてきました。よくも微妙な調節された自然界だったのでしょうか
特別な気象状況に驚くばかりではなく、素晴らしいバランスの自然界に感謝すべではないかと思います。
地球と月の引力のバランスもとれているから安定しています。宇宙空間すべてバランスです。しかし月から石を地球に持ってくるとどうなるでしょう
1キログラムといえども月より地球が重くなるのです。バランスは崩れませんか?
地球上でも同じことが言えます、オーストラリアの鉄鉱石を北半球に持ってきているそうですが、南半球と北半球のバランスは崩れませんか ?
自然界のいろんなバランスを人間社会は壊していないでしょうか、もし壊しているとしたら、当然、自然界のバランスは崩れているので、気候、気象の
微妙なバランスは崩れて、災害的なことは多くなることは必至だと思います。
どうすればいいでしょう、地球全体のことだから自分ひとりがどうしょうもないと考えるでしょうか
でも1人1人が少しずつでも考え方が変わったら、地球は少しずつ修正させるかもしれません
ヒントは、もし私が地球の持ち主だったらどうするか、と考えてみる
地球会社と考えてもいい、会社には人間のみならず、動物も昆虫も木も植物も生きています。空気も水も土もあります。
この地球会社を存続させるにはどうすればいいか
みんなの社員がいいバランスで存在し続けるにはどうするか
◎私の宗教感
私の家は浄土真宗である。人と話していると神様とか仏様のことや、どこどこの神社にお参りに行くとの話を聞きますが、私は人間の上の方々の世界
のことでも身近の事例で見て判断するようにしています。
私は父と母から生まれてきました。ですから神様は父の方、仏様は母の方と思い、おふたかたにお参りします。
神様には私が生まれて育った寺中町の河和田神社でお参りして、仏様には私の血のつながりのある先祖がお世話になっている寺中町のお寺にお参り
に行きます。もちろん自宅では神棚にお参りし、仏壇にお参りしています。
お参りするときは人間社会より上の方なので、人間社会でのどの挨拶より深い礼と丁寧な挨拶をするようにしています。
この世の中、目に見えないものはないと考えるのはおかしいと思う、空気も見えないし、光そのものもわからない、何かを照らして光の存在を感じるものであ
る。すぐ横に先祖の方がおられるかもしれないし、予想以上に多くの方々が自分を見守って下さっているかもしれない。
因果応報について……自分の行動がまた自分に降りかかってくる、つまり人に何かをしたことは後に自分に同じことをされるという事である。
ブーメランのようである。私達は生きている限り、動き、すべてのものに影響を与えています。その動きそのものが分子を飛ばして
いると考えた場合、その飛んだ分子は一周して自分に戻ってくるのです。私は54歳で人生半分かもしれませんが、なんとなく
回転していると感じます。自分のしたことがそのまま、同じ形で戻るとはわかりませんが、戻るとするなら、どう行動すればいいのか
考えるチャンスであります。人から認められたい、人に助けてもらいたい、人に喜ばれたい、とするなら、今後の行動は、人を認めて
あげよう、人を助けよう、人に喜ばれることをしよう、なんのことはない、昔から道徳でも言われ、キリストの言葉にも仏陀の言葉
にもよく言われているではないか、そうなんです。チャンと生き方の指針は小さい時から耳に入っているのです。
でもそれをただ道徳だ、理屈はわかるが世の中そんなものじゃないと勝手に考え、自分の頭の中では無視していたのではない
だろうか、しかし、これが人生の生き方の方程式と本当に心の底から知ったとき、どう行動するだろうか、人それぞれでしょう
それでいいと思います。人それぞれの人生、誰が作った人生でもなく、自分が作っていく人生でもあります。
もちろん、いろんな縁あり、その家にまつわる色々もありますから、人それぞれの人生、複雑であります。
ただ私は基本はこうだろうと考え、そして現実の自分と自分の周りの変化を見つめながら生きています。
◎なんのために地球上に生まれたのだろう
ヒントを考えてみる。人はいつか死ぬ、すると肉体はなくなる。これですべてはゼロになるのだろうか。色んな書物を読むと魂は生きているとか
死後の世界を見たとか色々な説を聞くが、まず誰でもわかることからヒントを考えてみる。
今、みんな金をかせぎ、預金残高を増やすことに必至である、それは老後が不安だからなのだが、もし死の直前にも大金を持っていたとしよう。
でも死後には持って行けないことは事実だ。それじゃ残されたものにとって、その大金は大変助かるのだろうか、誰しもないよりあった方がいいと思う。
しかし、多くの事例では遺産分与でもめているケースが多い、子や孫のためと思って作った財が罪つくりなってはいないだろうか。
すると必要以上のお金を得ることが人生の目的と考えるとチョツト違うかなと思う。金でこの世のすべてが解決するのならいいが、不治の病も
人間関係の悩みでも金で解決しないことが沢山ある。金はないよりある方がいいがすべてではないことに気づく。
それじゃ何の目的で生まれてきて、何を求めるべきなのか、誰しも試行錯誤している事柄かと思う、
第一に自分の命が次の一瞬存続しているかどうかわからないのである。
今の一瞬一瞬の命と自分の存在が大変ありがたく重要さを感じるのは事実である。
◎私が20代の時に大変お世話になった東京画廊の当時の社長 山本孝さん(現在は長男の豊津さんが社長)
私は高校卒業後の18才から毎月集金と営業で東京、大阪、名古屋と回っていました。東京は私自身が好きな町で毎回色々なところを見て廻って
いたのですが、出会いと紹介で東京画廊の社長さんであった山本家に仕事に行くことになったところ、これから仕事の打ち合わせが毎月あるのなら、
ここをホテルがわりにして、東京に来た時は泊まりなさいと言われ、毎月泊まらせて頂くことになりました。仕事の打ち合わせとは、奥さんがホテルオークラ
にある工芸の店「メノワ」の代表をされていて、そこの店はオリジナル商品しか販売しなく、漆器のオリジナルを依頼されていました。
メノワの商品開発会議はホテルオークラの一室で毎月開催され、若い私にとって毎月一流のホテルに出入りすることは大変勉強になりました。
また、山本家では日本の現代美術の草分けの方なので美術関係の来客も多く、美術大学の教授も多く来られ、大変有意義な話が聞けました。
勉強になるからと応接室で寝させてもらいました。その部屋は世界の一流の絵が飾られ、李朝のタンスや器が飾られていました。
あとから聞くと社長さんは何も話さず、自然と勉強になるようにとの配慮でした。日曜日には豊津さんか幸人さんと一緒に美術館につれていってもらい
ました。ある時、昔からの書の展示会に行きました。帰ってから私は社長さんに私は漆器屋で書を見てもあまり関係ない気がするのですが、と失礼な
質問しました。すると一冊の本に書いてある文を私に見せ、白い一枚の紙に一という字を書くという事は白い四角の空間を一という字で切ることだ、
デザインの基本だ、いい字は素晴らしいバランスで白い空間を切っていると説明して下さいました。その時、なるほどと思いました。
昨夜、岡倉天心先生の日本の美術史を読んでいたら、東洋の美術は書が基本だと書かれてありました、今更ながら、山本孝氏のすごさを感じました。
社長さんは言われました。君は今はわからないが、あと30〜40年たつとわかるよ、その頃だよ、わかってくるのは…。今ひしひしと感じるものがあります。
私は本当に幸せものだと思います。わけもわからない、勉強もしてない私を本当に導いて下さりありがたいです。
山本家の夕食後は、家族みんなが骨董好きで自分が買ってきたものを家族に披露するのです、それを見てみんなが意見を言うのです、私がいる時は
みんな漆器を出しました。私の意見を求められます。今思い出しても何もしらない私だったなぁと反省しています。
ある時、銀座の東京画廊に行ったら社長さんがいいものがあるから見なさいと言われ見たら、江戸時代につくられたと思われる素晴らしい蒔絵のついた
5段の硯箱でした。社長さんは私にどう思うと言われました。私はいい蒔絵ですねといいました。それだけか、と言われ、漆器の専門家だったら、時代の
だいたいの作家名、その背景などを品物を見ていえなくてはダメだ、私は画商だが、それぐらいは言える、もっと勉強しなさいと厳しいお叱りでした。
私は震えるほど怖かったし、震えるほど嬉しかった。こんなに厳しい言葉を言ってくださるなんて親以上と思いました。私みたいな何もしらない勉強不足
の人間に本当の心からの意見を言ってくださるなんて、有難かった。
また、ある時、NHKの美術評論家の方が画廊に訪ねて来られたときは私の事を漆器の作家ですとキシッと紹介して頂きました、嬉しかった。
今、思うと本当に私は無知だったと思うし、今でも無知な部分が多すぎと思います。日々勉強していこうと思っています。